2017年8月19日土曜日

知床博物館

今日は斜里の知床博物館です
知床博物館はウトロではなくて斜里の街の中にあります。
なかなか立派な建物ですが、残念ながら来客は少ない。


縄文時代から時代ごとの出土品が展示されています。オーディオ装置を借りると音声案内を聞けるシステムなのですが、オーディオ装置がうまく作動しないし、各セクションごとの説明が長すぎます。つい、音声案内は無視して展示品を見て回りました。



2階はオホーツクに住む動物の剥製がたくさん展示してあります。展示品の保管倉庫まで見学できるようになっているのがユニークでした。その入り口にアイスクリームの保存庫を見つけました。これって全国的に同じデザインだったのかな?まだ私が小さかった頃、10円を握りしめてこのボックスの前に立ち、中を覗き込んで好きなアイスクリームを選んで買ったのを覚えています。


ヒグマの骨格。熊には鎖骨がないそうです。確かにありませんね。人間の場合、鎖骨を取ってしまったらどうなるのだろう。


博物館の横の道を歩いて建物の裏に行くと植物園らしきものがあります。数種類の花がきれいに咲いていましたが、雑草も生えほとんど放置状態です。以前、訪問者が多かった頃は手入れが行き届いていたのでしょう。さらに、その奥には怪我で飛べなくなったオオワシとオジロワシが数羽飼われていました。まじかに見ると本当に大きな鳥ですね。


博物館の隣には「姉妹町友好都市交流記念館」がありました。


斜里町は青森県の弘前市と友好都市、沖縄県の竹富町と姉妹町の関係にあります。
友好都市と姉妹都市の違いはあまりないようですが、姉妹の場合はどっちが姉かという問題が出てくるようです。なぜ兄弟じゃないとの思ったら、ドイツ語やフランス語で都市は女性名詞だからだそうです。

江戸時代?の北海道の地図。当時使われた本物の地図です。左が北で、右が南です。北海道が随分ゆがんだ形に描かれています。私か注目したのは樺太が島でなく半島として描かれているということです。確かに当時は樺太が半島と信じられていたんですね。


江戸時代、斜里を警備するため派遣されていた津軽藩士の日記です。


江戸時代末期の斜里の様子。建物がポツンぽつんとあるだけ。


奥にはだだっ広い倉庫があり、大きな「ねぷた」が保管されていました。



なんでも「ねぶた」と「ねぷた」の2つの呼び方があるようで、「青森ねぶた」と「弘前ねぷた」と地域でも呼び方が異なるようです。ねぶたは立体的な人形で、ねぷたは扇型と形も異なるらしい。江戸時代、津軽藩士が斜里に来てとても苦労したという歴史的背景があり、感謝の気持ちを込めて現代でも「斜里ねぷた」のお祭りが催されています。

0 件のコメント:

コメントを投稿