日本最北のハス池が満開とのニュースを聞いて行ってきました。
美幌から39号線を北見に向かい、スバル営業所を通過したところで右に曲がります。後は真直ぐ、まっすぐに道が細くなっても進みます。すると突然左の低い位置にハス池が現れます。
ハスは仏教のイメージが強いのであまり好きでなく、私は鑑賞目的でハス池を見に行ったことがありませんでした。でも、今回久しぶりに見たハスの花は本当に美しいと思いました。
仏教ではハスが「汚泥の中から咲く美しい花」として好まれているようです。日蓮宗には「蓮」の字が入っているし、「南無妙法蓮華経」には「蓮華」の文字が入っている。如来像は「蓮華座」に座っている。あの世に行ったら「一蓮托生」で同じハスの上にいる。仏教はとても「蓮」が好きなようです。でも、私にとって仏教のハスはなんと仏さまに備えるハス柄の「ラクガン」のイメージです。
ハスの中央には花托があります。花托にはめしべが点在しています。この角度の写真だと分かりにくいですが、花托周囲のおしべは花托より短くて自家受粉しないようです。そこで、写真のようにハチがおしべの周りをごそごそ動き回り、ほかの花に飛んで行って受粉するようです。
この淡い桃色が何とも言えないほど美しい。
花托を乾燥させ飾ってあります。花托は種が落ちるとハチの巣ようになります。なんでも「蜂巣」の「はちのす」が転じて「はす」になったとか。本当かな?
仏教色を出すため、何故か「五右衛門風呂」を逆さに吊って「お寺の鐘」のように見せています。
さて、ここで一気に網走へ。道立北方民族博物館へ行きました。
下の写真は地図の一部ですがどこか分かりますか?
樺太の南半分です。
実は今、吉村昭の「間宮林蔵」を読んでいて、樺太に興味があったのです。
左下の稚内に最も近いところが「白主」あるいは「能登呂」と呼ばれる港で、右下の尖った岬が「中知床岬」です。
下の地図の番号に応じて住んでいる民族が異なっています。番号1はアイヌ人で北海道だけでなく樺太の南半分にも住んでいました。江戸時代、日本はアイヌ人と交流があったので樺太南部を支配することができたのでしょう。アイヌ人が住んでいたから樺太の地名も北海道と同じような地名が付いているのですね。下の写真の番号8の右下に尖がった岬がありますが、これは「北知床岬」と呼ばれていました。
間宮林蔵に与えられた使命は樺太が大陸続きの半島なのか、島なのかを確認することでした。当時、世界的には半島説が主流だったようですが、彼が島であることを初めて確認したと言われています。でも、原住民は皆知っていたのですけどね。なんでそんなに確認するのが難しかったかというと、中国大陸と樺太の間は幅が狭いだけでなく、かなりの浅瀬であったため大きな船でやってきたヨーロッパ人たちはここに近づくことができなかったからでした。
さて、北海道の土器です。北海道には弥生時代がないのを知っていますか。北海道人には常識でしょうが本州の人は知らないでしょう。北海道では稲作ができなかったため、この時代を弥生時代ではなく続縄文時代と呼びます。
下はシャーマン(祈祷師)の格好です。片面だけ張った太鼓のようなものを叩きながら踊ります。寒い地域ですが、ジャンプし続けるその踊りはアフリカの踊りを連想させます。
シャーマンというと私はつい「シャーマン戦車」を連想してしまいますが、「シャーマン戦車」の「シャーマン」は祈祷師とは関係なく、アメリカ南北戦争時代の北軍の将軍の名前に由来したものでした。祈祷師の「シャーマン」はツングース語の「シャマン」から来ているようです。
鮭の魚皮で作った服。臭そう!作り立てだったら、私はとても着れないです。
帰りに「Cafe & Cake 風花」でお茶して、「網走湖荘」の温泉に浸かって帰りました。
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