2017年8月27日日曜日

国後島

昼からぶらりと知床へ。途中の網走で「すき家」に寄って「高菜明太マヨ牛丼」を食べます。北見に行っても網走に行っても、いつも「すき家」です。「高菜明太マヨ牛丼」には九州でよく食べた高菜が入っているので好きなのです。

今日の知床峠は風が強く寒い。羅臼岳山頂の雲はビックリするほどの速さで流れています。


一方、北方領土側は靄もかからず国後島がはっきりと見えます。国後島が、岸壁の岩肌まで見えたのは初めてです。


国後島の「羅臼山」を見たくて道路を少し羅臼側に歩きました。すると高い山が見えてきました。遠くに見える国後島の左端に聳えるのが「羅臼山」です。知床の山は「羅臼岳」で、国後島の山は「羅臼山」です。


帰りに遠音別(おんねべつ)川の河口に車を止めて川の中を覗いてみました。いるいる、遡上している鮭たちです。


網走湖ではキャンピングカー1台と軽のワンボックスカー1台が湖畔に停めてありました。ともに70代の男性が車の隣に折りたたみ椅子を広げて座り、キャンプ用のガスコンロを前において料理し、網走湖に沈む夕日を眺めながらビールを味わっていました。車は遠くの県ナンバーで、それぞれ一人旅をしているようでした。彼らはもう独り身なのでしょうか?寂しそうにみえましたが、彼らはきっと楽しいのでしょう。



2017年8月20日日曜日

野付牛公園

北見市の町中にある野付牛公園。 
初めて来たけど随分広くてのんびりするには良さそうです。
ボートにも乗れる大きな池があります。




2017年8月19日土曜日

知床博物館

今日は斜里の知床博物館です
知床博物館はウトロではなくて斜里の街の中にあります。
なかなか立派な建物ですが、残念ながら来客は少ない。


縄文時代から時代ごとの出土品が展示されています。オーディオ装置を借りると音声案内を聞けるシステムなのですが、オーディオ装置がうまく作動しないし、各セクションごとの説明が長すぎます。つい、音声案内は無視して展示品を見て回りました。



2階はオホーツクに住む動物の剥製がたくさん展示してあります。展示品の保管倉庫まで見学できるようになっているのがユニークでした。その入り口にアイスクリームの保存庫を見つけました。これって全国的に同じデザインだったのかな?まだ私が小さかった頃、10円を握りしめてこのボックスの前に立ち、中を覗き込んで好きなアイスクリームを選んで買ったのを覚えています。


ヒグマの骨格。熊には鎖骨がないそうです。確かにありませんね。人間の場合、鎖骨を取ってしまったらどうなるのだろう。


博物館の横の道を歩いて建物の裏に行くと植物園らしきものがあります。数種類の花がきれいに咲いていましたが、雑草も生えほとんど放置状態です。以前、訪問者が多かった頃は手入れが行き届いていたのでしょう。さらに、その奥には怪我で飛べなくなったオオワシとオジロワシが数羽飼われていました。まじかに見ると本当に大きな鳥ですね。


博物館の隣には「姉妹町友好都市交流記念館」がありました。


斜里町は青森県の弘前市と友好都市、沖縄県の竹富町と姉妹町の関係にあります。
友好都市と姉妹都市の違いはあまりないようですが、姉妹の場合はどっちが姉かという問題が出てくるようです。なぜ兄弟じゃないとの思ったら、ドイツ語やフランス語で都市は女性名詞だからだそうです。

江戸時代?の北海道の地図。当時使われた本物の地図です。左が北で、右が南です。北海道が随分ゆがんだ形に描かれています。私か注目したのは樺太が島でなく半島として描かれているということです。確かに当時は樺太が半島と信じられていたんですね。


江戸時代、斜里を警備するため派遣されていた津軽藩士の日記です。


江戸時代末期の斜里の様子。建物がポツンぽつんとあるだけ。


奥にはだだっ広い倉庫があり、大きな「ねぷた」が保管されていました。



なんでも「ねぶた」と「ねぷた」の2つの呼び方があるようで、「青森ねぶた」と「弘前ねぷた」と地域でも呼び方が異なるようです。ねぶたは立体的な人形で、ねぷたは扇型と形も異なるらしい。江戸時代、津軽藩士が斜里に来てとても苦労したという歴史的背景があり、感謝の気持ちを込めて現代でも「斜里ねぷた」のお祭りが催されています。

2017年8月13日日曜日

屈斜路湖プリンス 翌日

朝から小雨がぱらついています。屈斜路湖プリンスホテルの食事会場の大きな窓から眺めると、ホテルの周囲は雲が低く垂れこめています。



ホテルの湖畔側の林を抜けると眼前には屈斜路湖が広がります。


奥の高い建物が今回宿泊したプリンスホテル。厳密には東館です。左側に屈斜路湖があります。右手の低い建物は屈斜路湖プリンスの西館ですが、もう長い間閉鎖されています。長期閉鎖されていると廃墟のようになるところが多いのですが、そこはさすがにプリンスです。建物の前の芝生はしっかりと手入れされており、建物も外観は少なくとも綺麗に管理されています。


左は食事会場です。その前には池があり、数年前は飛べなくなった白鳥が1羽いました。今いるのはカラスだけ!


ホテルから屈斜路湖対岸の砂湯へ回ってみました。すると駐車場は満車であるだけでなく、路上駐車が延々と続いていました。どうやらその原因は膨大な数のキャンパーたちのようで、湖畔には延々と続く数えきれないほどのテントが接するように張られていました。


川湯から藻琴山を経由して自宅に帰りました。リクライニングシートでのんびりしていたら、ついついうたた寝してしまい「寝正月」ならぬ「寝盂蘭盆」となりました。

2017年8月12日土曜日

屈斜路湖プリンス

ノーザンアークリゾートホテルで朝食。レストランからはスキー場が望めます。朝早くから、夏のスキー場はゴルフの打ちっぱなしをしている人で賑わっています。ホテルにはゴルフコースが隣接しているので、この人たちはこのあとラウンドするのでしょうか。



ホテルを出て自宅に帰ります。やっぱり自宅が一番くつろげます。時間があるときはタブレットで読書。

午後からは屈斜路湖のプリンスホテルに行きました。これまでここは「日帰り入浴」でしか利用していませんでした。その時の温泉の印象があまり良くなかったので、宿泊する気にならなかったのです。でも、今回初めて宿泊してみることにしました。気が変わったからではなく、他のホテルが空いていなかったからです。しかし、実際に部屋に入ってびっくり。随分と綺麗です。早い時間にチェックインしたためかワンランク上の部屋を案内してくれました。ジャグジー付きの部屋です!部屋の窓からは林の向こうに屈斜路湖が見えます。もっと、上層階なら遮るものなく湖を眺望できそうです。


夕食会場です。「満室なので早めに食事会場に来たほうがよい」と説明され6時前に行きましたが、テーブル数には十分余裕があります。阿寒湖温泉のホテルはウェイトレスがほとんどアジア系の外国人ですが、ここは日本人のようでした。さすがにプリンスだけあってスタッフもよく教育されています。ウェイトレスは、常に会場の端から端まで巡回をしており、お客の要望にすぐ対応できるようにしています。これまで宿泊した多くのホテルでは手を挙げてもなかなかウェイトレスが気づいてくれませんでした。この小さなシステムの違いこそがホテルの人気を左右するのかもしれません。


なぜか体調不良で食事をあまり摂れませんでした。しかし、食べ終わったら体調改善。低血糖だったのかしら?あまり摂れなかったとはいえ、下の写真の食事を全部食べたので充分とも言えます。でも、ビュフェの高い食事代を考えると損したような気になってしまうのです。


温泉だけでなく、部屋のジャグジーも堪能しました。部屋でジャグジーに浸かり、ボコボコ泡立つ音を聞いていると、まるで自分がリッチになったような気分になれます。

2017年8月11日金曜日

北網圏北見文化センター

北網圏北見文化センターに行ってみました。
美幌に住んで7年以上になるというのに、このセンターの存在すら知らなかった。野付牛公園の中にあります。事業主体は北見市で、管理運営はオホーツク美装興業が行っています。随分立派な建物です。


訪れた目的はプラネタリウム。昔からプラネタリウムは嫌いじゃない。
行ってみると、今日のプラネタリウムは無料! ラッキーと思いきや、どうやら内容がいつもと違う。仙台市天文台が作成した「星とともに」という東日本大震災当日の星空を映しながら被災者たちのメッセージを読むという作品でした。震災当日は町全体が停電となったため星空がとてもきれいに見えたそうです。私はお涙頂戴のストーリーは苦手です。前日の睡眠不足もあり、つい眠ってしまった。鑑賞後に「感想を書いてください」と言われても・・・。

天文学には大変興味があります。大分県にいたころは放送大学の天文学講座をいくつか取ったこともあります。プラネタリウムはいろいろなところで観ましたが、初めてプラネタリウムに入った渋谷の五島プラネタリウムが一番良かった。


プラネタリウムを出て北網圏北見文化センター内の科学館や博物館を回りました。注目したのがクロテンのはく製(下の写真)。ランプの宿「森つべつ」では野生のエゾクロテンを見たこともあります。なぜ、注目したかというと、先日読んだ小説「間宮林蔵」の中で、樺太の原住民が中国の役人に貢物としてこのクロテンの毛皮一枚を献上したと書かれていたからです。当時、大変な思いをして中国大陸に渡り、役人へ渡す貢物がクロテン毛皮たった一枚で良いのかと驚いたからです。当時からテンの毛皮は超高級品だったのでしょう。


明治30年、北見地域に屯田兵を最初に輸送した船「武陽丸」の模型です。愛知から出港して所々に寄港し網走に到着。その後、屯田兵や家族は曳船に乗って網走湖を縦断し女満別で下船。以後は北見まで移動したようです。私は「武陽丸」から「榎本武揚」の「武揚」を連想したのですが関係ないかな?命名者が武揚ファンだったりしなかったかなと思ったのです。「武揚」は「ブヨウ」とも呼ばれていたらしいから。



職場にお盆休みはないけれど、せっかくの連休なので近くのホテルに宿泊。ノーザンアークリゾートホテルです。車だと自宅から20分少々でついてしまうのですが、それでもあえて気分転換のため宿泊します。このホテルは周囲に観光スポットがないためか一般的な宿泊料でも部屋の広さは倍あります。ここの問題は禁煙部屋がないので煙草の匂いが部屋中に充満しています。消臭剤と空気清浄機を持ってきてもらいましたが効果はいまいち。

一方、ここの料理は美味しいです。安いコースだから高級食材はありませんが、それぞれの料理は美味しくてシェフの腕の良さがわかります。下の写真は最初に出されたもの。入れ物が地味で美味しそうに見えませんが、食べるとつい頬が緩みます。


ビールに酔った勢いで山形の地酒「手間暇」の大吟醸を注文。一合2200円!センスのない名前だとは思いますが、めちゃうまかったです。山形のお酒と言えば「十四代」「出羽桜」「東光」と素晴らしいお酒がいっぱいです。今回、初めて「手間暇」のブランドを知りましたが、東北のお酒は美味しいのがいっぱいです。

2017年8月6日日曜日

日本最北のハス池

日本最北のハス池が満開とのニュースを聞いて行ってきました。

美幌から39号線を北見に向かい、スバル営業所を通過したところで右に曲がります。後は真直ぐ、まっすぐに道が細くなっても進みます。すると突然左の低い位置にハス池が現れます。

ハスは仏教のイメージが強いのであまり好きでなく、私は鑑賞目的でハス池を見に行ったことがありませんでした。でも、今回久しぶりに見たハスの花は本当に美しいと思いました。
仏教ではハスが「汚泥の中から咲く美しい花」として好まれているようです。日蓮宗には「蓮」の字が入っているし、「南無妙法蓮華経」には「蓮華」の文字が入っている。如来像は「蓮華座」に座っている。あの世に行ったら「一蓮托生」で同じハスの上にいる。仏教はとても「蓮」が好きなようです。でも、私にとって仏教のハスはなんと仏さまに備えるハス柄の「ラクガン」のイメージです。


ハスの中央には花托があります。花托にはめしべが点在しています。この角度の写真だと分かりにくいですが、花托周囲のおしべは花托より短くて自家受粉しないようです。そこで、写真のようにハチがおしべの周りをごそごそ動き回り、ほかの花に飛んで行って受粉するようです。


この淡い桃色が何とも言えないほど美しい。


花托を乾燥させ飾ってあります。花托は種が落ちるとハチの巣ようになります。なんでも「蜂巣」の「はちのす」が転じて「はす」になったとか。本当かな?


仏教色を出すため、何故か「五右衛門風呂」を逆さに吊って「お寺の鐘」のように見せています。


さて、ここで一気に網走へ。道立北方民族博物館へ行きました。
下の写真は地図の一部ですがどこか分かりますか?

樺太の南半分です。
実は今、吉村昭の「間宮林蔵」を読んでいて、樺太に興味があったのです。
左下の稚内に最も近いところが「白主」あるいは「能登呂」と呼ばれる港で、右下の尖った岬が「中知床岬」です。


下の地図の番号に応じて住んでいる民族が異なっています。番号1はアイヌ人で北海道だけでなく樺太の南半分にも住んでいました。江戸時代、日本はアイヌ人と交流があったので樺太南部を支配することができたのでしょう。アイヌ人が住んでいたから樺太の地名も北海道と同じような地名が付いているのですね。下の写真の番号8の右下に尖がった岬がありますが、これは「北知床岬」と呼ばれていました。


間宮林蔵に与えられた使命は樺太が大陸続きの半島なのか、島なのかを確認することでした。当時、世界的には半島説が主流だったようですが、彼が島であることを初めて確認したと言われています。でも、原住民は皆知っていたのですけどね。なんでそんなに確認するのが難しかったかというと、中国大陸と樺太の間は幅が狭いだけでなく、かなりの浅瀬であったため大きな船でやってきたヨーロッパ人たちはここに近づくことができなかったからでした。

さて、北海道の土器です。北海道には弥生時代がないのを知っていますか。北海道人には常識でしょうが本州の人は知らないでしょう。北海道では稲作ができなかったため、この時代を弥生時代ではなく続縄文時代と呼びます。


下はシャーマン(祈祷師)の格好です。片面だけ張った太鼓のようなものを叩きながら踊ります。寒い地域ですが、ジャンプし続けるその踊りはアフリカの踊りを連想させます。

シャーマンというと私はつい「シャーマン戦車」を連想してしまいますが、「シャーマン戦車」の「シャーマン」は祈祷師とは関係なく、アメリカ南北戦争時代の北軍の将軍の名前に由来したものでした。祈祷師の「シャーマン」はツングース語の「シャマン」から来ているようです。


鮭の魚皮で作った服。臭そう!作り立てだったら、私はとても着れないです。


帰りに「Cafe & Cake 風花」でお茶して、「網走湖荘」の温泉に浸かって帰りました。